かけっこで定番の曲のあれ@ほとけ

鍵を職場に忘れたホトケです
さいわい住宅安心サービス的ななにかで凍死は免れた
危ないところであった
ほとけの説法は火曜日の予定でしたが、昨日は重大発表があったので一日ずらさせていただきました
これは夏の甲子園のイニングの隙間を縫ってニュースが入るような伝統的で奥ゆかしい処置であり、
けっして忘れていたわけではない
ええ、忘れていたわけではない
さて、なんの話をしましょうか
そういえば、この前実家に帰った時、友人と「ゾンビになったら時、どうすれば生き延びられるか」について熱く語りあいました
それにしても、皆さんゾンビ好きですよね
映画も沢山出ています
「死霊のはらわた」、「ゾンビの誕生」、「死霊の盆踊り」、「高慢と偏見とゾンビ」
……グロイの苦手なので見たことはないですけど
リンクも張りません、青少年の健全な何かに配慮した結果です、はい
じゃあ、なんかそんな話を


自然の理不尽を説明することが宗教のできた理由の一つだと聞きます
それは例えば、雨が降る理由だったり、太陽が毎日登る理由だったり、そして人間が死ぬ理由であったりします
日本の昔話では死んだ奥さんを生き返らせようとして失敗したら、奥さんが怒って「あなたのご子息を殺してさしあげますわ。一日に1000人のペースで」と言ったら旦那さんが「あ、それよりたくさん産むんで大丈夫なんで、具体的には1500人くらい」と言ったので人間がしに始めた、なんて話もありましたか
そちらの元ネタはギリシャあたりの神話らしいですけれども
MTGというカードゲームがあります
このゲームの中で舞台となる世界は(カードゲームですが、それなりにストーリーもあるのです)いろいろあるのですが、その中の一つにギリシャ神話を基にした世界があります
それはこんな世界です
ゲームの中とはいえそれなりにしっかり世界が作られていて、その世界なりの死生観と言うものも語られます
この世界の死生観が結構好きなのです
この世界では人が死ぬと「死者の国」に行きます
死んだ人はここで死の神様に見張られながら、生活を送ります
基本的には逃げられないのですけれども、なんか上手いことをやると時々生者の領域に帰って来ます
けれども蘇ってきた人たちは(なんだかぼんやりした言い方ですけれども)「自身の定義とともに顔を失わねばならない」のに加えて、「他者との関係を結ぶための長期記憶を構成する能力」もまた失っているらしいのです
この世界の死者に特徴的なのは、感情や生前の技能は残っているということです
なので遊戯じみた日常生活を送ることはできますが、それはどこにも繋がらない行動の反復にすぎないのです
zombee2
でも、それってもっと地獄だと思うのですよね
なにかをすることができてもそれがどこにも繋がっていないということ、そしてそれを説明ができないけれども感じることができるというのは、すごく嫌だし苦しいことだと思うのです
彼らには(文字通り)未来がなく、あるのは過去も不確かで、あるのは永遠に続く「今」だけです
それでも、この世界の死者はなにかのために生者の国へ戻ってくるのです
(その目的が多くの場合果たされないと知っていても)
作中である人物が彼らのことを指してこのように言います
悲しい皮肉です。彼らは蘇るほどに生を愛していたというのに、その愛を持ったまま戻っては来られないのですから
zombee1
でも、なんだか、普通のズンビーとは一味違うこの世界の死者が僕は割と好きなのですよ
すこし悪趣味な気もしますが
この記事を書いた理由ですか?
もちろんMTGの布教のためですよ
とりあえず、参考にしたページを載せておくから読んでみたらいいんじゃないかな!
今回の記事を書くにあたって「マジック:ザ・ギャザリング 日本公式ウェブサイト」から画像を引用しました
また、とくにサイト内の以下の記事を参考にしました
プレインズウォーカーのための「テーロス」案内 その3
アスフォデル

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