帰る場所はいつもの

自分のことだけ考えてる。フジタです。

meetsCLASSICS№2の制作が進んでおります。お待たせしてすみません。稽古スケジュールを組み、いよいよ、いよいよといった感じです。出演者の小島望さんが出演する舞台が明日あたりから中野のあくとれでありますね。仮チラシが折り込みされているかと思います。是非そちらも。

最近心がぐちゃぐちゃになっているのですが、こういうときはむしろ海よりも山に行きたくなりますね。海は疲れちゃう。

お題は海ってことなんですけど、海と言えば、あれは、いつだ、大学三年生か四年生の時の、新入生歓迎祭の前日の深夜に、なぜかテンションがあがりまくった同級生数人で大洗まで車すっ飛ばして海を観にいったことを思い出します。

季節外れの大洗の海岸は真っ黒で、真っ暗で、結構な大時化で、巨大な黒い塊が寄せては返す様はなかなか恐怖心をあおるものがありました。5時くらいに大学に戻って、あと5時間くらいで集合ですね、やべー、またねー、って言って分かれて、案の定全員寝坊しました。クズ過ぎるだろ。

いまでも大学のことを良く思い出します。ノスタルジーなのか、なんなのか。あの頃に戻りたいとかはちっとも思わないのですが、ああ、そう、あれは、ああいうのはやっぱり、楽しかった。楽しかったなあ。なんて。演劇をやることはいつだって苦痛にまみれているのですが、あのころだってそれは、純粋にずっと楽しかったわけじゃないけど、でも、今ほど七転八倒の苦しみを抱えて芝居してたかって言うとそうでもなかったように思います。いや、何言ってるんだろう。すみません。

海と言えば生命の母、原始の地球で生命が生命という形を取る以前、アミノ酸が大量に溶け込んだ母なる海のなかには、孤独という概念はなかったことでしょう。

薫臣さん、あなたは、淋しかった。淋しくて淋しくてとても耐えられなかった。貴方には、信じられる物語が無かった。心捧げられる宗教も無かった。貴方にとってちょうど良い大きさのコップを、あなたは見つけることができなかったんです。どんな言葉も、それが言葉である以上貴方にとってはなんの慰めにもならなかった。貴方は世界を憎んだ。言葉の壁を越えて、誰かと、どろりと溶けて一つになれたら。そんなことができたらどんなにか楽だろう。

最近ぽつぽつと、いろいろなところにいろいろなものを、送ったり提出したり、するようになったのですが、いや、期待するというのは体力を使いますね。すごくむずかしい。技術が必要だなと思いました。

それでも、劇団肋骨蜜柑同好会に期待してくださっているすべての皆様の期待に応え、そして予想を裏切る、これが僕の使命であるからして、僕はやっぱり、もうすこし、もう少しだけここで立とうとしなければならないのだなと、思うのでした。

なんだこのブログ。あんまりいろんなこと考えられない感じなので、今日の処はこれにて。

BLOG, 日記


PAGE TOP