やった瞬間にヤッベやっちまったと思った@ヤマダ
おばんです。ヤマダです。
いやー7月ですね。2017年も半分を過ぎて折り返しです。
今年も後半戦よろしくお願いいたします。よいお年を。
え、「失敗したこと」がお題だからって、
わざわざ1か月もブログ更新をストップさせて、
「いやーブログ止めちゃったの失敗でした」って言って、
簡単にお茶を濁そうとしていたんじゃないか、 って?
ばれちゃあ仕方ねえ…(嘘)
その話はなかったことにして普通に失敗したことの話をします。
古今東西、アメリカからヨーロッパを経てここ日本に至るまで、
それはもう、おてんとさんの星の数より沢山の失敗の種類がございます。
長屋暮らしともなれば、近所の失敗話は黙ってたって毎っ日聞こえてくるもんです。
「熊っつぁん、熊っつぁん」
「なんでぇ、竹」
…
長屋の話は置いておいて。
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失敗したこと、といわれて思い返そうとすると、
やはりセットで「怒られたこと」「叱られたこと」がどうしたって思い当たります。
そりゃそうですね、やらかしたりしても、誰からも怒られたり叱られたりせず、
誰にもばれないで、なんとかなってしまったことを「失敗した」とは思わないですからね。
ただ、そこからさらに考えると、怒られたり叱られたりしていないけれど、
ひどく自分の中で「後悔していること」も候補に挙がってきます。
考え始めてみると、この「後悔していること」のほうが、
どちらかといえば自分の中で引きずっていることが多いかもしれないです。
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「取り返しのつかないこと」に対する恐怖感が割と強い方です。
一度やってしまうと二度と同じことができない、もとに戻せない。
まあ万物すべての事象がそうといえばそうなのですが、あくまで主観的な範囲において、
類似する体験再現が二度とできないことへの恐怖があります。
ゲーム中1つしか手に入らないアイテムとか絶対使えないタイプです。
…この話前にもした気がするな。
まあ、そんな訳で、後悔することについても、
やはり物を失うことに関する記憶が比較的多い気がします。
よくある例としては、食べ物をダメにしてしまうやつです。
一人暮らしを始めて、バナナを買って部屋に置いておいたら、
ものの見事に数日でとても食べられないようなグジュグジュになってしまって、
そのときの申し訳なさ、やってしまった、という気持ち、
どうしてもっと早く対応できなかったんだ、という後悔。
失敗したなあ、と強く思ったことを覚えています。
▲バナナは青い方が好き。炒め物にしても美味しい。
(出典:ズッキーニと鶏とバナナ炒め|にしおかすみこ ドケチレシピ オフィシャルブログ powered by Ameba)
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と、まあいろいろ思い返してみれば、
最初に「人に怒られた・叱られたこと」を思い浮かべたものの、
失敗したなあ、と思っていることはむしろ、自分の中でだけ後悔しているものの方が多いかもしれませんね。誰のせいにもできない、自分の過ちがすべて悪かったときのような。
そういえば、次回公演の情報が掲載されましたね。
この下種下種な将棋界炎上中のただなかで公開されました、
劇団肋骨蜜柑同好会 meets CLASSICS No.2『安吾二篇~散る日本/白痴~』。
完全新作の上演となります『白痴』に加えて
2015年の板橋ビューネで上演され、ご来場いただいたお客様方々から驚きの声を頂いた
あの将棋観戦記『散る日本』がいよいよ本公演へ登場することとなりました。
将棋も含めて、勝負事はみなそうだと思うのですが、
何か、あきらかに失敗したときって、その瞬間にわかる感覚があると思います。
その手を指した瞬間に、「あ、失敗した」ってわかるような。
あれはある種の第六感みたいなものなんでしょうかねえ。
そうそう前回『散る日本』上演時の宣伝映像が出てきました。
練習ではひたすら将棋を指していたとの噂もある『散る日本』、
そしてどう上演されるのかまったく予想がつかない『白痴』。
どうぞお楽しみにー。
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次はついに来ました、笹瀬川咲です。
ついに来ましたというのはついに来ましたということです。何のことやらですね。
ではでは。ヤマダでした。