赤川
概要
赤川は田瓶市を流れる一級河川である。本川延長67キロメートル、流域面積420平方キロメートルを誇る。水源は見高山の山中にあり、登山道6合目から脇道に入ったところに起源を示す「起源の碑」が設置されている。実際は複数水源から徐々に流量を増やして流れていくため、「起源の碑」は水源のうち最も高度が高いもの、という定義である。
真殿山の麓で本町方面と山野辺方面に分岐し、前者は利根川、後者は相模川へ合流する(本川延長はより長い後者で定義)。また、本町では揖斐川や笹瀬川など小さな支流に更に分岐する。
歴史
赤川は田瓶地域の農産物に多大な恵みをもたらしているが、歴史的には様々な問題を抱えた川だった。
河岸整備以前
江戸時代後期に河岸整備工事が行われるまで、赤川はよく氾濫することで名の知れた川だった。「田瓶」の名の由来も、赤川がよく氾濫し水瓶のようになったことから、とする説がある。1495年(明応4年)や1742年(寛保2年)の大雨の際には100人以上が亡くなったとされ、橋や米倉が押し流されたという。また洪水の後には伝染病が流行することも多く、毎年のように直接・間接的に多数の被害者が出ていたことが記録に残っている。
河岸工事が行われたのは万延から文久にかけてのことだっとされる。この時は本間町の職人たちも工事に加わり、街を挙げての対応だったことから、当時の技術力に比して迅速な整備が行われたと伝えられている。
高度成長期
王港線開通後、本町・本間町の生活人口が急増すると生活排水の濾過が追い付かなくなり、赤川に深刻な水質汚染をもたらした。川魚は死滅し、川藻や微生物が大量発生した結果、その名の通り赤く濁った水へと姿を変えた。異臭などの不衛生な状態に陥いるまで赤川を放置したことで当時の市環境局が糾弾され、本格対応に乗り出すこととなった。
昭和45年に試行された水質汚濁防止法も後押しした形となり、事業排水の規制や一般家庭への啓蒙活動を継続した結果、平成初期には川に川魚が戻った。なお、現在も毎年行われる赤川グリーンデイが始まったものこれがきっかけである。
関連施設
灯籠橋
真殿山麓の山野辺地区と沼田地区の境に係る木造のアーチ橋。大正時代に建造された当時の姿がほぼ現存している。現在でも使用可能な灯籠(実際は水銀灯)が並ぶ欄干と、カマキリ(蟷螂)のような形のダブルミーニングで命名されたとされる。
赤川浄水場
本間町にある上水道施設である。赤川から取水塔に組み上げられた原水がろ過され田瓶全域の住宅に提供される。公共施設も併設しており田瓶図書館の分館や、テニスコートやサッカーグラウンド、温水プールのある運動施設が併設されている。
山野辺貯水池
山野辺町にある赤川の水を引き込むための施設である。山野辺駅再開発による人口増加対応と赤川の治水を目的として作られた。その広さは20haを誇り、上南湖の2/3ほどの大きさがある。室町時代に作られた山野辺沼が元となっている。池の裏手は手付かずの林になっており野生生物が住み着いている。
あかがわグリーンパーク
山野辺地区の中央にある、地域最大級の自然公園である。詳細はあかがわグリーンパークを参照。