ユーザ用ツール

サイト用ツール


山野辺総合病院

差分

このページの2つのバージョン間の差分を表示します。

この比較画面へのリンク

両方とも前のリビジョン前のリビジョン
次のリビジョン
前のリビジョン
山野辺総合病院 [2020/11/26 23:54] – [概要] admin山野辺総合病院 [2020/11/26 23:55] (現在) – [概要] admin
行 3: 行 3:
  
 ===== 概要 ===== ===== 概要 =====
-元々は戦時中の負傷兵を収容するための陸軍病院で、PTSDを患った帰還兵をケアする精神科に特化した病院だった。このため地域のお年寄りは「山野辺精神病院」などと呼ぶこともある。戦後復興に伴い一時的に閉鎖されるも、地元企業の村田グループが山野辺地区の再開発計画に伴い買収。総合病院として再建した。病床数300、所属医師は60名を誇る。+元々は戦時中の負傷兵を収容するための陸軍病院で、PTSDを患った帰還兵をケアする精神科に特化した病院だった。このため地域のお年寄りは「山野辺精神病院」などと呼ぶこともある。戦後復興に伴い一時的に規模が縮小されるも、地元企業の村田グループが山野辺地区の再開発計画に伴い買収。総合病院として再建した。病床数300、所属医師は60名を誇る。
  
 ===== 沿革 ===== ===== 沿革 =====
-1941年 開院。精神科を専門とする病院として負傷兵を収容。解剖学や毒物研究機関はこのころより併設されている。 +  * 1941年 開院。精神科を専門とする病院として負傷兵を収容。解剖学や毒物研究機関はこのころより併設されている。 
-1948年 田瓶地域南部の救急病院として機能を拡大。 +  1948年 田瓶地域南部の救急病院として機能を拡大。 
-1950年 アクセスの悪さや看護師不足、田瓶駅前の田瓶市立病院の開院により利用が伸びず赤字を計上。以降は従前の精神科に特化した専門病院および研究・育成機関としての立ち位置に戻る。 +  1950年 アクセスの悪さや看護師不足、田瓶駅前の田瓶市立病院の開院により利用が伸びず赤字を計上。以降は従前の精神科に特化した専門病院および研究・育成機関としての立ち位置に戻る。 
-1975年 地元村田グループが山野辺地区の再開発の一環として同病院を買収。企業立病院となる。  +  1975年 地元村田グループが山野辺地区の再開発の一環として同病院を買収。企業立病院となる。  
-1989年 建屋の建て直しにより一般外来の東棟、研究棟の西棟が渡り廊下で繋がる構造となる。床面積の拡大に伴い婦人科、リハビリ科などを新設。 +  1989年 建屋の建て直しにより一般外来の東棟、研究棟の西棟が渡り廊下で繋がる構造となる。床面積の拡大に伴い婦人科、リハビリ科などを新設。 
-1996年 放射線科を新設。最先端医療にも対応した医療機関となる。 +  1996年 放射線科を新設。最先端医療にも対応した医療機関となる。 
-2004年 デイケアセンタの整備を発表。終末医療や介護・リハビリにも力を入れる +  2004年 デイケアセンタの整備を発表。終末医療や介護・リハビリにも力を入れる 
  
  
山野辺総合病院.1606402456.txt.gz · 最終更新: 2020/11/26 23:54 by admin