遅くなりました。フジタです。
恋の手本の稽古が佳境になり、「今回は古典だし、脚本書かなくて済むぞ☆」と思っていた僕ですが、気がつけばなぜか執筆に追われています。
なんでや。いや、自分で決めたんですけれども。
meetsCLASSICSということで、古典テキストと現代の我々の身体の出逢いというおおもとの漠然としたコンセプトがあって、如何に違和感を違和感のまま、違和感なく飲み下させるか、というようなことをずっと考えて稽古しているのですけれど、こーのね。落としどころがね。本当に本当に難しい。針の穴を通すようなことが求められている。気がする。実はまだちゃんと見えてないっす。
シーンごとのイメージはあって、そしてそれにどんどん近づいては来ているので、まあまず間違いなくおもしろいでしょう。ここでいうおもしろいというのは、もちろん作品として鑑賞に堪えうるというような意味もありますけれど、そんなことよりも、もっと重要なのは、この作品は間違いなく「危険だ」ということです。つまり、安全安心なものではないです。名状しがたい、何にも分類できない、あなたのはじめての体験になれるのではないかと、思っております。出逢いましょう。はじめてと。危険な出会いを。お初にお目にかかりましょう。
ね。そうなんだよ。僕は危険に出会いたいのだな。それはつまり、肉体的な危険ではなくって、うーん。ちゃんと説明できないですけど、世界の文法が揺らぐような、枠組みが融けるような、天地が逆転するような、哲学が危険なように、演劇も危険でありたい。まだまだそれは、できたり、できなかったり、いろいろですけど。いつだってそれを目指していたいなと、思います。僕は哲学と演劇と音楽で身を持ち崩したので。(しかもほとんど浅瀬でちゃぷちゃぷやってただけなのに、大波にさらわれた感じ)あなたにとってそれになれたらいいなと思います。最近演出やってると僕は直ぐ前言を撤回するんですが、それを悪とも思わなくなりました。メモおっつかなくて記憶力なくて忘れてることもあるんですけど、たいていの場合わざと矛盾したこと言ってるし、演劇ってそんなもんだと僕は思います。あるゴールに向かって最短距離取って効率よく成果を得るようなことを、僕は良しと思わない。時間もお金も無駄にして、どぶに捨てるような覚悟。もちろんそれは僕らの、時間だったりお金だったり、ということですが、無から立ち上がり、無に帰るだけの演劇などというものに人生狂わされた身からすれば、同じ演劇やっている人間の口から効率とかいう言葉が出てくることさえまず信じられない。そもそも論になりますが、そもそも人間というものは〇▲◇%くぁwせdrftgyふじこ
通信が混線しました
そんなこんなで稽古やっとります。稽古の様子はツイッターなどでも発信しておりますので、どうぞご覧くださいませ。meetsCLASSICS №1『恋の手本 ~曾根崎心中~』ご予約絶賛承り中です。あなたのはじめてになりたい。
さてさて、お題の「2020年の劇団肋骨蜜柑同好会(妄想)」ですが、なんでしょうこのカオス記事オンパレード。いいですかみなさん。言霊とか、引き寄せの法則とかいう言葉をご存知ですか?
え?なに?そんなオカルトありえません?
ふっふっふ、そう思いたいならそう思っているがいいさ。(劇団肋骨蜜柑同好会はオカルト集団ではありません)
でも僕は割と言霊とか信じちゃう方なのでいいことしか書かないよ。
まあまず、10年目だし、少しくらい大きな劇場でやってみたいものですね。スズナリとか、本多とか、パルコとか、俳優座劇場とか、新国立劇場とか、武道館とか。東京ドームとか。え?なに?SOA?言ったもん勝ちです。
あとね、ベスト盤やりたいんですよ。ベスト盤。今までの中短編でできのいいやつ集めて再演企画。
劇団員も増えているといいなあ。
個人的には喫茶店のマスターに落ち着いていたいですね(にっこり)
ちょっと今脳味噌疲れすぎてて文章酷いですけど、もうこのまま投稿します。ごめん。ノイズだらけですね。つぎはしょーねんだよ。最近ロットが乱れてるから立て直しておくんなマシマシニンニクアブラカラメ。
こんな感じですが、とりあえず2015年もあと1ヶ月ちょっと。劇団肋骨蜜柑同好会をよろしくお願いいたします。