終焉、そして
雨です。寒いです。春はどこへ行ってしまったのか。
みなさま。このブログも、本番中ほったらかしという体たらくでご迷惑おかけしました。今後はちゃんとしたい。マジで。
というわけでご無沙汰しております。フジタです。大変遅ればせながら、劇団肋骨蜜柑同好会第6回『アダムの肋骨』無事全日程を終了いたしました。
長かった……本当に。役者の皆様方にはご迷惑ばかりおかけしました。ごめんなさい。あなた方が居なければ、この芝居は成功しなかった、どころか存在すらしなかった。本当に、本当に、全身全霊でありがとうと言いたい。ありがとうございました。
今回の脚本は自分史上最高に難産でした。こんなに書けないとは思わなかった。いや書けない書けないとは思っていたのだけれど、ここまで書けないとは。
劇団員も客演さんも皆やきもきして、本当に、本気で一時は公演中止も頭をよぎりましたが、それだけは、絶対にそれだけはあってはならないと這ってでも前に進もうとして、まあ出来上がったものがああいうもので、もう緻密な論理も、精緻な言葉も、流麗なストーリーも、細密な人間描写も、なにもかもかなぐり捨てて、剛腕、ひたすらに剛腕、岩をも砕く執念だけで書き上げた、なんだかわからぬコールタールのような塊になりました。
そしてその化け物のような、糞の塊のような言葉の鬼を、見事現世に召喚してくれた13人のシャーマン。巫女の皆さんのマンパワーに、結果的に大きく頼ることになりました。いや、すごいね。役者ってすごい。役者の力を感じました。お世話になりました。
今回、「世界の終わり」を描かなければならないという突如降ってきた衝動により、最後の晩餐と、あなたとわたしと、世界の終わり、みたいな、そういう世界観で、中心不在の不安と自壊する共依存の芝居を書きました。僕自身が、今の、このやりかたで「肋骨蜜柑同好会」を続けていくことに限界というか、そういうものを感じていて、とにかく一度、終わらせなければいけないという謎の義務感に襲われたためです。だからタイトルも、「アダムの肋骨」としました。悩んだけれど。
劇団肋骨蜜柑同好会の『アダムの肋骨』というのはつまり、X-JAPANのXとか、ラルクアンシエルの虹とか、ブラックサバスの黒い安息日とか、キングクリムゾンのクリムゾンキングの宮殿とか、黒猫チェルシーの黒い奴らとか、ジューダスプリーストのジューダスライジングとか、そういうことです。ロックについて歌うロック、みたいな。私からあなたへ、この歌を届けよう。のこの歌、とはこの歌のことで、この歌は、この歌を届けようという歌である、みたいな。そういう、トートロジーに終始して、何を言っているのか結局わからない不安、中心の不在みたいなものをどうにかこうにか演劇にしたかった。でも、トートロジーでしか表せない物ってあるんですよ。わたしとは、私である。みたいな。ね。
乱文すみません。何を言っているのかわかりません。
ともかく。我々は、我々についていま一度明らかにしなければならないと思ったし、そのためにはトートロジー的な地獄とはもう一度正面から激突しなければならないと思ったのです。
だからこそつけた、このタイトル。アダムの肋骨。たぶん、ちゃんと機能した。世界を記述する術式には、トートロジーが必須であることが証明されたと思う。これは僕が思ってるだけかもしれないけど。
これ、何の話ですか?だれかこの話聞いてるのかな?繰り返される問いに、それでも僕は、語ることをやめられない。ジャンキーなんだ。演劇ジャンキー。
ご来場いただいたすべての方々に、最大の感謝と敬愛を。愛してる。ありがとうございました。またいずれ、どこかの劇場で、お会いいたしましょう。