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赤川

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赤川 [2018/07/31 14:20] – [赤川浄水場] 2001:268:c0c0:3b83:eda0:854:ea29:94c3赤川 [2020/11/23 18:57] (現在) – [赤川浄水場] admin
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  赤川は田瓶地域の農産物に多大な恵みをもたらしているが、歴史的には様々な問題を抱えた川だった。  赤川は田瓶地域の農産物に多大な恵みをもたらしているが、歴史的には様々な問題を抱えた川だった。
 ==== 河岸整備以前 ==== ==== 河岸整備以前 ====
- 江戸時代後期に河岸整備工事が行われるまで、赤川はよく氾濫することで名の知れた川だった。「田瓶」の名の由来も、赤川がよく氾濫し水瓶のようになったことから、とする説がある。寛保2年の大雨の際には約200人が亡くなったとされ、橋や米倉が押し流されたという。また洪水の後には伝染病が流行することも多く、毎年のように直接・間接的に多数の被害者が出ていたことが記録に残っている。+ 江戸時代後期に河岸整備工事が行われるまで、赤川はよく氾濫することで名の知れた川だった。「田瓶」の名の由来も、赤川がよく氾濫し水瓶のようになったことから、とする説がある。1495年(明応4年)や1742年(寛保2年)の大雨の際には100以上が亡くなったとされ、橋や米倉が押し流されたという。また洪水の後には伝染病が流行することも多く、毎年のように直接・間接的に多数の被害者が出ていたことが記録に残っている。
  
  河岸工事が行われたのは万延から文久にかけてのことだっとされる。この時は本間町の職人たちも工事に加わり、街を挙げての対応だったことから、当時の技術力に比して迅速な整備が行われたと伝えられている。  河岸工事が行われたのは万延から文久にかけてのことだっとされる。この時は本間町の職人たちも工事に加わり、街を挙げての対応だったことから、当時の技術力に比して迅速な整備が行われたと伝えられている。
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 ===== 関連施設 ===== ===== 関連施設 =====
 +==== 灯籠橋 ====
 + [[真殿山|真殿山]]麓の山野辺地区と沼田地区の境に係る木造のアーチ橋。大正時代に建造された当時の姿がほぼ現存している。現在でも使用可能な灯籠(実際は水銀灯)が並ぶ欄干と、カマキリ(蟷螂)のような形のダブルミーニングで命名されたとされる。
 +
 ==== 赤川浄水場 ==== ==== 赤川浄水場 ====
-==== 力発電所 ====+ 本間町にある上道施設である。赤川から取水塔に組み上げられた原水がろ過され田瓶全域の住宅に提供される。公共施設も併設しており田瓶図書館の分館や、テニスコートやサッカーグラウンド、温水プールのある運動施設が併設されている。
  
 +==== 山野辺貯水池 ====
 + 山野辺町にある赤川の水を引き込むための施設である。山野辺駅再開発による人口増加対応と赤川の治水を目的として作られた。その広さは20haを誇り、[[上南湖|上南湖]]の2/3ほどの大きさがある。室町時代に作られた山野辺沼が元となっている。池の裏手は手付かずの林になっており野生生物が住み着いている。
 ==== あかがわグリーンパーク ==== ==== あかがわグリーンパーク ====
  山野辺地区の中央にある、地域最大級の自然公園である。詳細は[[あかがわグリーンパーク|あかがわグリーンパーク]]を参照。  山野辺地区の中央にある、地域最大級の自然公園である。詳細は[[あかがわグリーンパーク|あかがわグリーンパーク]]を参照。
赤川.1533014410.txt.gz · 最終更新: 2019/01/08 18:16 (外部編集)