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田瓶市の鉄道

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田瓶市の鉄道 [2022/09/11 17:51] – [停車駅(田瓶市内)] admin田瓶市の鉄道 [2022/09/11 17:55] (現在) – [歴史] admin
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 ===== 歴史 ===== ===== 歴史 =====
-開業時の名称は田北線と呼ばれた。1944年の開業を目指していたが戦火のために先延ばしとなり開業は1949年。鉄鋼の不足により開業当時は田瓶駅、揖斐川駅、旧金升駅のわずか3駅での運営だった。もともとは東武大師線や亀戸線に倣い、田瓶駅と田瓶市の主要な寺社(荒神神社→沼田身道大社→沼田山地蔵尊→真殿山神社)を接続するために計画されたものであり、当初は荒神神社のみ接続されていことになる+開業時の名称は田北線と呼ばれた。1944年の開業を目指していたが戦火のために先延ばしとなり開業は1949年。鉄鋼の不足により開業当時は田瓶駅、揖斐川駅、旧金升駅のわずか3駅での運営だった。もともとは東武大師線や亀戸線に倣い、田瓶駅と田瓶市の主要な寺社(荒神神社→沼田身道大社→沼田山地蔵尊→真殿山神社)を接続するために計画されたものであり、当初は荒神神社のみが利用可能であった。
  
-荒神神社より先の区間は山間部に差し掛かることになり、建設費用の高騰が予測された。しかし自家用車の普及により利用客が低迷。乗車率は15%を割り込むようになり、当初開発費用の回収すら危ぶまれる事態なり延線の計画は白紙化された。1958年に運営会社の田北鉄道株式会社が村田興業グループに買収されると敷設計画が見直された。その際、1)田瓶市西側の真殿山に向かうルートではなく、中央寄りを横断する路線とすること、2)目的地を真殿山ではなく御津門駅とを結ぶ線とすること、3)名称を津田線と改めること、4)荒神神社前駅を廃止すること、5)金升駅を東に移設することなどが決定された。+荒神神社より先の区間は山間部に差し掛かることになり、建設費用の高騰が予測された。しかし自家用車の普及により利用客が低迷。乗車率は15%を割り込むようになり、当初開発費用の回収すら危ぶまれると延線の計画は白紙化された。1958年に運営会社の田北鉄道株式会社が村田興業グループに買収されると敷設計画が見直された。その際、1)田瓶市西側の真殿山に向かうルートではなく、中央寄りを横断する路線とすること、2)目的地を真殿山ではなく御津門駅とすること、3)名称を津田線と改めること、4)荒神神社前駅を廃止すること、5)金升駅を東に移設することなどが決定された。
  
 1968年に(新)金升駅と山野辺駅が開業。1979年に全線が開通し現在の姿となった。なお旧金升駅舎は現在「道の駅たがめ」としてその姿が保存されているほか、(新)金升駅および沼田駅からの路線バスが整備されたことで荒神神社や真殿山神社へのアクセスが担保されている。 1968年に(新)金升駅と山野辺駅が開業。1979年に全線が開通し現在の姿となった。なお旧金升駅舎は現在「道の駅たがめ」としてその姿が保存されているほか、(新)金升駅および沼田駅からの路線バスが整備されたことで荒神神社や真殿山神社へのアクセスが担保されている。
田瓶市の鉄道.txt · 最終更新: 2022/09/11 17:55 by admin