せっぽうのじかんはどこいった
誤字は愛嬌、脱字は慣例、表記の揺れは気の迷い
ほとけです
物事には順序と言うものがあり、これを乱す者にはなんかよくないことがおこると昔から言われています
そうでしょう?
いいわけではありません
いいわけです
よし
何の話をしましょうか
そうだ、前回は鍵を失くしたと言いましたね
翌日無事ロッカーから見つかりました
ちょっとした家出と言うやつでしょう
今回はそんな話にしましょう
みたいな切り口で探し物について書こうと思いましたが、まったく内容を思いつかないので最近読んだ本の話をします
最近なんとなく『箱男』と『幽霊たち』と『ピグマリオン』を読みました
あ、なんかインテリっぽい
特に意識したわけではないのですが、最初の二つはどちらも『覗き』に関するお話です
『幽霊たち』は探偵がある男を見張る話ですし、『箱男』は段ボール箱の中から世界を覗く話です
「覗く」という行為はなかなか人を引き付ける何かがあるようです
とりわけ、自分の姿を見せずに相手を一方的に見るということはなんだか楽しいことなのでしょう
昔どこかの偉い人は「ほら、牢屋とかってさ、看守が監視室からみてるじゃん、んで、囚人にとっては自分が見られてるかどうかわかんないわけよ。そうするとさ、なんかやっぱ緊張するじゃん?」って言ったそうです
たしか、フーコーさんとかなんかそんな人だった気が……
振り子で遊んでたフーコーさんしか知らなかったです
多分フジタタイセイとかに聞いたら嬉々として語り始めるので聞いてあげてください
私はわからん
見ることの話でした
『箱男』にはしばしば「『見ること』は『見られる』こととセットだ」みたいな文言が出てきます
むべ、確かに見られるものがなければ、見ることはできないのでしょう
また、見られている人が見られていることを自覚していなければ、見ても仕方がないみたいな印象も読んでいて何度か受けました
それが一番わかりやすく出ているのは最後から二つ目の挿話でしょう
これは……あー、その…わかりやすいんですけどね
ちょっと青少年のあれにアレする感じかなあ
簡単に言うとちょっとおませな男の子がお手製の覗きメガネを作って、先生のトイレを覗こうとしてばれたという話なのですけれど
まあ、結局ばれてしまうわけです
そうしてみると「『見られているとわかっている人』を『見たい』」という欲望は自分の影響を確認したいという欲求なのでしょうかね
逆に『幽霊たち』では探偵に見張られている男は見張られていることを自覚していません
(というよりも自覚していないように見せかけているのですが)
探偵はそれにとてもイライラします
次第に自分の行為とその効果に疑問を覚え始めます
確かに牢屋で見張ってるのに囚人が好き勝手やり始めたらはぶてたくなるのもわかりますね
身近な例で行くと演劇など(このブログは劇団のブログです)が見る人と見られる人に別れるものです
基本的には役者は見られる人で、観客が見る人です
役者は観客に向けて演技をして、観客は役者の演技を見ます
客いじりなんてものもありまして、観客の一部が見られる人になることもありますが、それでもそれ以外の人は対象の観客と役者を見ています
んでも、時々思うのですけれども、役にとって観客ってなんなんでしょうね
つまり、たとえば直近の公演で言えば、『曽根崎心中』の徳兵衛にとって観客はいないんですよ
でも、徳兵衛を演じる笹瀬川咲は観客が見ていることを知っているのです
するってーと舞台上にいる人間は見られていることを自覚しているのか、していないのか
それとも自覚していないふりをするべきなのか、自覚しているふりをするべきなのか
いまだによくわからないのです
しばらく役者をする予定はないので問題ないのかもしれませんが
あ!
『ピグマリオン』について話すのを忘れていた
非常なかわいいがある
是非読むべき