こっそり小ネタ解題
こっそり更新。読みたい人だけ読んだらいいのではないか。
完全に自己満足ですが、今回のアダムの肋骨に仕込んだちょっとした小ネタ集か何かについて解題してみようかなと思います。
かっこわるいことします。ごめんなさい。読みたい人は、したの追記をごらんください。ではでは。こっそりね。
さてさて。こっそりはじめます。
皆様お気づきのこととは思いますが、今回の芝居は新約聖書より最後の晩餐をベースに、キリストと十二人の使徒をポリアモリーチックな恋愛共依存体として再構築することを目指しました。具体的には、ヨハネ福音書と、ダヴィンチの最後の晩餐、それから太宰治の駈込み訴えに強く影響を受けています。よって、すべての登場人物が使徒と対応しております。ひとりひとりご紹介していきましょう。あと、登場人物名は干支です。
① ゴトウ【牛島】……ペテロ
シンちゃんとの付き合いがおそらく一番長い、仕切り屋、第一のイヴ、ゴトウさんは第一使徒シモン=ペテロです。あの有名なダヴィンチの最後の晩餐の絵において、ナイフを持っているのがペテロです。ペテロさん、よくナイフ持った絵として描かれますね。劇中でも最初に包丁を持ち出すのがゴトウさんです。それから、有名な三度の否認。「鶏が鳴くまでにお前は三度、私を知らないというだろう」という預言ですね。シンちゃんとは学生時代からの付き合いで、今は同じ大学でスクールカウンセラーをしているらしいです。どうやら。
② イタドリ【虎杖】……大ヤコブ
劇中一の常識人(?)にして生活者、第二のイヴ、イタドリさんは大ヤコブです。使徒にはヤコブが二人いるんですね。名前が同じだけであまり繋がりはありません。ダヴィンチの最後の晩餐でもイエスの隣に座って、他の使徒が熱狂するのを抑えるようなポーズをしています。なんとなく、イエスに近いところに描かれることが多い気がします。ちゃんと調べたわけではないのですが。イタドリさんは、全十二人の中の三大読めない苗字の一人です。ダブルワークという設定。個人的にはコニシさんと割と対になる印象あります。
③ トミヤマ【兎耳山】……ヨハネ
メモ魔にして生き残り、捩れた自意識の記録者、第三のイヴ、トミヤマさんはヨハネです。今回の芝居がヨハネ福音書を元本としているによって、主人公っちゃあ主人公ですが最初はあまり目立たない。十二使徒のなかで唯一殉教していないという事実、「イエスに愛された弟子」という「一人称」から膨らませました。あなたに愛されている私だけが本当の私。三大読めない苗字の一人。というか本当にこんな苗字あるのか。聖書のなかでもだいぶ優遇されてます。イエスの胸に寄りかかってたりとか。最後の晩餐の絵でもたいていイエスの隣にいますね。
④ タツカワ【竜川】……アンデレ
観客、ナース、観察する蜃気楼、あらゆる次元に偏在する旧支配者の眷属、第四のイヴ、タツカワさんはアンデレです。正直アンデレ要素あんまりありません。ごめんなさい。最初は聖アンデレ十字に絡めようかと思ったのですが、うまいこといかず。一番外側の救いを担当。アンデレは、ペテロと兄弟で、大分最初の方からいる使徒なんですが、(僕が見るかぎり)いまいち影が薄いということで蜃気楼。でも最初から、イエスのことを見ている。という。
⑤ ミムラ【巳村】……フィリポ
楽園のりんご売り、アダムとイヴを誘惑する蛇、第五のイヴ、ミムラさんはフィリポです。イエスが、パンと魚を増やす奇跡を行ったとき、一番最初に声をかけたのがフィリポだったということから、パンを持ち込んだのがミムラさんです。一瞬の会話なのであんまり拾われてないと思いますけれど。名前を十二支にしたところ蛇だったので、失楽園のエピソードよりサタンの立場を担っていただきました。AA錠を常飲していたシンちゃんは、自分がどうしようもなく裸であることに気づいてしまう。AA錠とはAdam’sAppleの略です。
⑥ ババ【馬場】……バルトロマイ
薄く広がる自我、皆の影、回し屋、第六のイヴ、ババさんはバルトロマイです。バババルトロマイ。バルトロマイは生皮をはがされて殉教ということなので、最期は革ジャンを脱がされました。ライヴハウス勤務で自分もバンドをやってます。バーソロミューズというのは、バルトロマイの英語読みから。最後の晩餐の席次に従うと、イエス(シンちゃん)の反対側に座ることになるので、シンちゃんとは鏡あわせのような、下手したら自分こそがシンちゃんだったかもしれない、という。本来シンちゃんがやるべきことを全部一人で担う悲しくも俊敏な闘う女。聖書では、馬という動物は戦争の場面にしかほとんど出てきません。
⑦ ヨウダ【羊田】……マタイ
いつでも眠いが誰より鋭い、鋭敏な感性、第七のイヴ、ヨウダさんはマタイです。もと徴税人ということで、公務員をやめて現在無職ということも考えましたが、活かされませんでした。全員の気づきを担当します。背中のヨーダはダジャレですが、もはや存在が老師。トラブルが起こると、みんなババさんとヨウダさんの間に引っ越してきます。落ち着くのかしら。ヨハネと並んで有名な福音書も書いているマタイ。全員に対して平等に、愛を持っています。聖書において羊といえば、迷える人民の代名詞ですが、ヨウダさんはどちらかといえば、羊飼いのポジションなのではないかしら。
⑧ サワタリ【猿渡】……トマス
何も信じられない不信の地獄、誰にも負けない不屈の女、第八のイヴ、サワタリさんはトマスです。疑り深いトマス。イエスの復活すら信じず、傷跡に指を突っ込んでみるトマス。というわけで、目で見て耳で聞いて、手で触ったものしか信じない、という不屈のパンクスになりました。ただのヤンキーじゃないんです。自分でさえ、自分のことがよくわからなくなっている、猿芝居の女です。イヌイと対になる関係です。露悪と偽善の露悪を担当します。トマスはインドまで宣教してインドで殉教したと言い伝えられていますが、彼女の靴下がカレーだったこととはあんまり関係ないと思います。
⑨ カイチ【鶏内】……小ヤコブ
重い過去と軽い頭を持つイエスの従妹、第九のイヴ、カイチさんは小ヤコブです。二人目のヤコブです。実際イエスのいとこだと伝えられていて、見た目もそっくりだったとか。今回はそっくりではなかった。三大読めない苗字最後の刺客。片端からものを忘れていくために、大事なところが引っ掛かる。忘れっぽいのは鶏だから、鶏頭という安易な発想から。忘却→気づき→記録参照→思考、というプロセスが今回の芝居では多く用いられました。ペテロの三度の否認では、完全に鶏役でした。
⑩ イヌイ【犬井】……タダイ
意見を軽視されがちな優等生、堅物の偽善者、第十のイヴ、イヌイさんはタダイです。タダイは、名をユダという所為で、イスカリオテのユダとの混同を避けるために意図的に軽視された「忘れられた聖人」です。挙句の果てに、描写されるときには「イスカリオテではないユダ」と言われる始末。意見を軽視されるわ、話はぶった切られるわ、地味にかわいそう。サワタリと対になり、偽善を担当します。自分の個人的感情と公的な正義の区別がついてないタイプのめんどくさい優等生です。イスカリオテのユダであるコニシさんに執拗に噛みつきます。吠えます。わたし、あなたならよかったのに。
⑪ イノマタ【猪俣】……熱心党のシモン
狂信者、を演ずる食えない女、実は孤独な悩める乙女、第十一のイヴ、イノマタさんは熱心党のシモンです。聖書における「熱心党」が何を指すのかは議論が分かれるところだそうですが、ここでは、ローマの支配に対抗するユダヤ教の集団としての「熱心党」説をとりました。元熱心党員のシモンは、イエスの姿に、ローマ人の支配に対抗しうる力を見て、その力のために弟子になったのではないか、というひとつの憶測です。シモンに対する資料は全然ないのでよくわからないのです。女子大生です。空気を読むことを強要される女子大生が、そこに対抗しうる光として、シンちゃんの言葉を私的に解釈している、という構図でした。
⑫ コニシ【猫西】……イスカリオテのユダ
裏切り者の真の姿は?せめて愛したあなただけでも。第十二のイヴ、コニシさんは皆さんご存知イスカリオテのユダです。裏切り者として描かれるユダが、もしイエスを救うためにした行動だったら?という構想の出発点です。僕は太宰治の駈込み訴えが大好きで、大傑作だと思っているのですが、そのユダ像からもう少し、普通の人間として描きたかったです。今回は。最後に三百円をテーブルにおいて、首を吊るユダです。
⑬ シンちゃん……イエス
シンちゃんはイエスですね。聖人としてのイエスではなく、もっと俗な、どうしようもないダメンズとしてのシンちゃん。きっと本物のイエスも、こんな人だったんじゃないかと思うんです。いや、嫌な意味ではなく。優しくて、気弱で、真面目で、引っ込みがつかなくなって、苦しんで、でも、みたいな。人間失格の大庭葉蔵のような。そんな人間だったんじゃなかろうかと。あと、もうひとり、ヴィルヘルムライヒという人が僕は大好きで、その人のことも考えながら書きました。オルゴンボックスというよくわからない箱を発明した、精神分析家です。
⑭ 古井戸……フロイト
急によくわからないひとがでてきたとお思いでしょうが、古井戸はフロイトです。前述の、ヴィルヘルムライヒの師匠ですが、破門にしています。堅物の精神分析家です。また、古井戸という名前には、「イド」すなわち、快楽原理に基づく欲望の源泉としての井戸の意もあり、それが古い、すなわち枯れている。という。枯れ井戸ですね。カレイドスコープ。別にこれは本当に本編と関係ありません。自己満足です。
以上で登場人物に仕込んだ小ネタ解題はおわりです。もう少しある気もするけどやめておきます。
あーあ。カッコ悪いことしちゃった。
でもこういうの書きたくなっちゃうんですよね。すみません。
読みたい人が一人でも居てくれたら、うれしいです。では、またどこかで。