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地蔵祭

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地蔵祭 [2022/04/27 22:02] – [地蔵祭を巡る論点] admin地蔵祭 [2022/07/22 16:20] (現在) – [地蔵祭(じぞうさい)] admin
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 ====== 田瓶市の祭り ====== ====== 田瓶市の祭り ======
 ===== 地蔵祭(じぞうさい) ===== ===== 地蔵祭(じぞうさい) =====
- 田瓶市は地蔵信仰が深く根付いた地域であり、市の各地に地蔵が見られる。また、市内の神社にも沼田山地蔵尊、身道大社をはじめとする地蔵を祭った摂社・末社も多く存在している。地蔵祭はそれらの神社、信仰主体が一体となって作り上げる、「まんだら灯籠祭り」と並ぶ田瓶市を代表する祭りである。地蔵祭は地蔵盆である毎年8月24日(実際はその周辺の土日)に行われる。+ 田瓶市は地蔵信仰が深く根付いた地域であり、市の各地に地蔵が見られる。また、市内の神社にも沼田山地蔵尊、身道大社をはじめとする地蔵を祭った寺院も多く存在している。地蔵祭はそれらの神社、信仰主体が一体となって作り上げる、「まんだら灯籠祭り」と並ぶ田瓶市を代表する祭りである。もともと地蔵祭は地蔵盆である毎年8月24日(実際はその周辺の土日)に行われていたが、「まんだら灯籠祭り」が行われる9月初週を避けるように日程が調整され、現在は7月29日前後に開催されている。
  
  江戸時代から始まった風習であるが、戦後の財政難の折に開催が中止されて以降長らく開催されてこなかった。しかし平成に入りバブルが崩壊されると地元への帰属意識が高り、地蔵祭の復刻の声が上がったため43年ぶりに再開されることとなった。  江戸時代から始まった風習であるが、戦後の財政難の折に開催が中止されて以降長らく開催されてこなかった。しかし平成に入りバブルが崩壊されると地元への帰属意識が高り、地蔵祭の復刻の声が上がったため43年ぶりに再開されることとなった。
  
  祭事期間中は各協賛寺社にて縁日が開かれるほか、盆踊り、神輿、山車、ちびっこ相撲といった催し物が開かれる。参道に古米をばらまき、秋の収穫を願うとされる。最終日には赤川花火大会が予定されている。最大の見どころは「数珠神輿」であり、田瓶市の各方面から山野辺の身道大社に集った多数の神輿が数珠つなぎになって会場を周回する圧巻の見世物となっている。  祭事期間中は各協賛寺社にて縁日が開かれるほか、盆踊り、神輿、山車、ちびっこ相撲といった催し物が開かれる。参道に古米をばらまき、秋の収穫を願うとされる。最終日には赤川花火大会が予定されている。最大の見どころは「数珠神輿」であり、田瓶市の各方面から山野辺の身道大社に集った多数の神輿が数珠つなぎになって会場を周回する圧巻の見世物となっている。
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 +===== 起源 =====
 + 鎌倉時代末期、田瓶を流行り病が襲った。罹患した者は高熱を発し、喉が潰れ、皮膚が黝(あおぐろ)く硬化する恐ろしい病であり、ひとたび病魔に侵されると生存は絶望的であった。誰もが看病を諦めていたが、とある小さな寺の住職だけは患者に寝床を開放し、食事を与え、患者のために読経を続けた。その成果もあってかある時から新たな患者の出現はハタと止まった。最後の患者がこの世を去ると、後を追うように住職も息を引き取ったのだった。
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 + 田瓶の住民は住職の功績をたたえ近くに寺社を建立した。これが現在の沼田地蔵尊、身道大社の前進と言われている。また病魔が二度と田瓶の地を蝕まないよう、年に一度地域に散在する地蔵尊を清めお経をあげる風習が根付いた。これが地蔵祭の始まりとされる。
  
 ===== 沼田山地蔵尊 ===== ===== 沼田山地蔵尊 =====
地蔵祭.1651064557.txt.gz · 最終更新: 2022/04/27 22:02 by admin